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タナトスに似た欲動

またこういったことをせんとす

思い出に押しつぶされそう

ネガティブ

昔から死ぬことを必要以上に恐れていたので、眠る時には真っ暗な部屋の天井を見つめながら、棺の中で死んでいる自分を夢想してえも言われぬ恐怖に戦慄していたのだ。

そして、いつの間にか朝がやってきて、「今日も朝を迎えることができた、でもいつかは死ぬんだ・・・・・・」という言葉を頭に浮かべながら歯を磨いていた。

そんな生活をもう何年も続けていたわけだが、どうやらそろそろ慣れてきたらしい。

寝違えた首に一日中悩まされていたのに、一晩寝て治ってしまえばすっかり寝違えのことなんて忘れてしまうように、慣れによって自分の中でひっかかりがなくなってしまったことというのはすぐに忘れてしまう。

そういうわけで、死に対する恐怖はここ一年くらいはだいぶ落ち着いてる。

(とはいっても、水道橋博士が自身の経験を振り返っているのを読んだことがあるけど、タナトフォビアの症状は生涯を通じて強まったり弱まったりといった波があるらしいから、まぁまたそのうち苦しむことにはなるんだろうと思う。)

しかしながら、自分の性根がネガティブな引力にまるで抵抗する様子もなく、そういう半ば現実から遠く離れた不安が弱まると、今度は現実に即した不安だったり、過去(!)と現在を並べて意味のなく落ち込んだり、不安を増長させたりしている。

と、改めて文章にしてみると、過去まで引き合いに出してきて抑うつ状態になっているのは滑稽だな。

そうやって、俯瞰してあざ笑う自分もいるわけだが、不安に苛まれている自分がいるのも真実ではある。

最近、自分の中に「無意識」というもう一人の自分がいるのを意識するようになった。

この辺はフロイトの研究でよく知られていることだけど、自分で実感できるようになるとフロイトの言うことがよく理解できる。というか、恥ずかしながら「自我・イド・超自我」っていう概念を、自分が無意識の存在を意識してから知ったからより納得感がある。

僕がリラックスしている時に多いんだけど、その「無意識」ってやつが、過去の一瞬一瞬を鮮明な映像で突然送ってくるんだよ。しかも楽しかった瞬間ばかり!

あんまり過去のいい瞬間ばっか送られてくるので、その対比で超つまんない社会人になった現在を対比させてすんごくおちんこもんでる、もとい落ち込んでいるという話です。(この辺で飽きた。)