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タナトスに似た欲動

またこういったことをせんとす

中島らも

今日は、中島らもの命日です。

らもが死んでから、6年が経ったそうです。


僕が中島らもを知ったのは今から4年前、17歳の時。

きっかけはオーケンの小説だった。

オーケンのエッセイではなく、小説。

表紙を開いてすぐ、『この本を中島らもさんに捧げます。』という旨の一文が添えられていたからだ。

17歳といえば、僕が意識的に本を読もうと決意した年で、毎日のように本を読んでいた。

高校の授業の内容にはとっくについていけてなかったし、勉強する意味もわからなかったあの頃の僕は、授業中に本を読み漁っていた。

勉強するわけでもなく、おしゃべりばかりしているクラスメート達を横目に、本を読むこと。それ以外に、自分に価値が見出せなかったあの頃。

当時同じクラスだった、あの娘のために僕ができる、唯一のアピールだった。

そんな中で最初に手を出したらもの本は『こどもの一生』だった。

もともとは演劇用に書かれた話で、エンターテイメント性を追求した作品だった。

まだまだ本を読み始めたばかりの当時の僕にうってつけの、とてもわかりやすく楽しみやすい作品だったこともあり、僕は中島らもの作品をもっと読みたいと思ったのだ。

そうしていろいろ読んでみると、らもはエッセイがとてもおもしろい!ということに気づいた。

文章の面白さに加え、アル中であり、ヤク中であるらものリアルな描写に簡単に虜になってしまったのだ。

そこで僕は、重要なことに気づいてしまう。

アル中でヤク中で、ふらふらな人間が、どうしてこうもまともな文章を書けるのだろう、と。

僕は、小中高と受けてきたドラッグに関する教育が、警察の巧妙な罠であったことに気づいたのだ。(ここら辺の話は過去のブログにも書いたので省略する。)

それから約4年の間に、いま本屋に置いてあるであろうらもの著書はほとんど手に入れ、読んだ。

そして、らもがもう故人であることが悔しくてしょうがなかった。



そんなとき、twitterで「神戸らもてん」のことを知った。

これは行くしかないと衝動的に予定を決め、聴講券の応募をした。

結果は当選だった。当日の会場の様子からして、残念ながら落選してしまった人もかなりいるようだったので、これはかなりの幸運だった。

会場では、らもの遺品と、ライブ映像が上映されていた。

洋楽のカバーをしていた、最高にかっこよかった。

動いているらもは、youtubeで見たことくらいしかなかったので、この映像には感動した。

しかし、そういう時にもやはり「この人はもう死んでしまったのだ。」という悲しい気持ちになり、どうしようもなくやるせなくなってしまう。

これは清志郎にしても言えることで、最近の僕はこの無常感が克服できずに困っている。

メインのトークショーも、無料のイベントとは思えないほどしっかりしたもので本当に素晴らしい時間をすごせた。

現役灘高生のバンド演奏に、なぜかこっちが赤面してしまったり、ガンジー石原に感動したり、ものすごい勢いで飛んでくるはもてんを必死によけたり。

その中でも、観客席にいたキチガイ(酔ってたんかな?)のおっちゃんの「セーンズリ!セーンズリ!」というコールには爆笑してしまった。

もちろんあの場にふさわしい客とは言えないけれど、そういう人間もふくめてらものファンである、となんとなく納得してしまった。

決して、しんみりした悲しい雰囲気はどこにもなく、終始ニコニコしていたらもの奥さんのミーさんがとても印象的だった。



イベントが終わって、僕と友人はご飯を食べに夜のJR神戸駅周辺を歩いたけれど、どの店も10〜11時にかけて閉店してしまい、神戸の街はとても静かだった。

神戸らしいなにかおいしいもの食べようとしていた僕らはすっかり拍子抜けしてしまい、泣く泣く和民に入ったのだった……。

次の日は、三宮駅周辺を散策したけど、ここはうってかわってものすごく栄えていて、逆にどこい行くかを決めることができなかった僕らは、泣く泣くビックエコーで時間をつぶしたのだった……。




関西地区っていうのは、やっぱり東京とも、名古屋とも違った雰囲気があってなんだかんだで面白かった。

機会があれば、大阪や京都にも行きたい。



長くなってしまったけど、中島らもさん。ありがとう!


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